清武の乱 / プロ野球の事件史

清武の乱 概要

清武の乱とは、2011年11月11日に起きた読売ジャイアンツの運営会社「株式会社読売巨人軍」球団代表清武英利による、同社取締役会長渡邉恒雄への告発に関する問題である。清武はこの問題を理由に、同月18日読売巨人軍におけるすべての職を解任されている。

清武の乱 内容

2011年11月11日、株式会社読売巨人軍の球団代表である清武英利は、文部科学省記者クラブで弁護士の吉峯啓晴を伴い「読売巨人軍のコンプライアンス上の重大な件」する記者会見を開き、巨人の来季のヘッドコーチ人事を巡って渡邉恒雄球団会長が不当に介入し、告発直前に問題となった大王製紙やオリンパスを引き合いに出して、会社の内部統制とコンプライアンスを破ったとする声明を発表し、渡邉を批判した。告発の主な内容は以下の通りである。

巨人のヘッドコーチは岡崎郁の留任が内定しており、10月20日に渡邉に報告し了承を得たが、11月4日には渡邉は記者会見で「俺は何も聞いていない」と発言、11月9日には岡崎を降格し、新たに球団OBである野球解説者の江川卓をヘッドコーチとすると聞かされた。これは不当な「鶴の一声」で、渡邉による巨人軍、プロ野球を私物化するような行為は許すことは出来ない。

この後の記者会見で、清武は自らが辞めるつもりもなく、また渡邉に辞任を求めるつもりもないとした。吉峯は文部科学省において会見を開いた意図について、文部科学省はプロ野球も所管している、無関心ではおれない問題と説明している。これに対し、株式会社読売巨人軍のオーナーと代表取締役社長を兼務する桃井恒和は、同日記者会見を開き「会見を球団の誰も知らなかった。代表取締役である自分の知らないところで、ああいう形でやったのでは逆にコンプライアンスという意味でとんでもない」とし、岡崎の留任が覆ったことについては、留任が決まったのはクライマックスシリーズが始まる前で、負けたから状況は変わったとしたが、江川との接触はなく岡崎の留任もありえるとコメント。「渡邉氏は読売新聞のトップで、球団の平取締役とは違う、不当な鶴の声ではない」と反論している。

当事者となった岡崎は、この日の巨人は休日で、清武による会見が行われる前までには宿舎のホテルに戻っていたが、会見以降は報道陣の前に姿を見せず、この問題に関するコメントを出さなかっ。一方の江川はヘッドコーチ就任要請について「正式な話は受けていない」とコメントしている。名前が挙がったことは光栄であるとしつつ、「入団したとき小林繁さんに迷惑を掛けた江川事件のと同様に、現ヘッドコーチの岡崎さんに迷惑を掛けることになるので受けるのは難しい」と要請を固辞する考えを明らかにしている。また巨人監督の原辰徳はコーチ人事について「まったく知らなかった。江川さんは大事な先輩なのでご迷惑をかけてなければいいのですが」とコメントしている。 清武から告発された立場である渡邉は11日21時に読売本社から帰宅、報道陣の前に姿は見せたが、この問題に関するコメントは出さなかった。