KKドラフト事件 / プロ野球の事件史

KKドラフト事件

KKドラフト事件とは、1985年のプロ野球ドラフト会議を巡って発生した日本プロ野球の事件。PL学園高等学校の桑田真澄・清原和博のKKコンビは1年生の時からエースと4番としてそれぞれ活躍して5回の甲子園に出場のうち優勝が2回・準優勝が2回・ベスト4が1回という伝説ともいうべき記録を残し、高校卒業後の進路はプロ野球ファンのみならず、世間の注目を大いに集めた。

1985年のドラフト会議にて、清原和博は尊敬する読売ジャイアンツ・王貞治監督の下でのプレー、巨人入団を熱望する。桑田真澄は早稲田大学進学を表明。その結果、清原はドラフト指名が競合する一方、進学志望の桑田へのドラフト指名が回避されると思われた。しかし、ドラフト会議では巨人が進学志望の桑田を1位で強行指名して交渉権を獲得。清原には巨人を除いた6球団がドラフト1位で競合した。抽選の結果西武ライオンズに1位指名された。巨人からの1位指名を希望した清原は会見で涙を流した。

その後、清原は西武に入団、桑田も早稲田大学進学志望を取り下げて巨人に入団した。 清原は、1987年の日本シリーズで西武が巨人を破った際、シリーズ制覇決定の試合終了直前に守備位置で泣くという行動をとったということが、語り草となっている。その後、清原はFA権を行使し、1997年のシーズンから巨人に移籍した。